自信なかったからただの発散ということに
自分はかなりストレスの発散が下手くそである。
趣味を見つけてくるのはすんなりできるのに、それがストレス発散に必ずしもつながるとは限らない。むしろ、その趣味でさえストレスの一因となりうる。
適度に発散ということできないので、キャパオーバーになって1回機能停止しないと自分をリセットできない。良くないことだとはわかっているものの、その解決策がわからない。
自分の中の要らない感情をアポトーシスすることができたら、人間はどんなに楽になるだろう。
おつぴょん
少し前に、自分の思考を言葉になおすと陳腐な気がする、と書いた気がする。
それを表現できる言葉を知らないからそうなるのだとばかり思い込んでいたが、最近ふと、そもそも自分の思考なんてそんな大層なものじゃないんだから陳腐なものだと感じるのは当然じゃないかと考え始めた。
今まで、ネガティブになることをすごく否定してきた。そこに悩む労力と時間は無駄なものでしかないと考えていたからだ。自分がポジティブでいることを誇るというよりは、そのエネルギーを使うくらいならすべてを諦めて先に進んでしまおうという受け身なポジティブだった。
しかし最近は、無駄なことにエネルギーを使うことも悪くないと思い始めた。このブログにつらつらと書いているうちに、感情の吐露というのがなかなか面白いことだと気づいたからだ。
もちろん、皆と仲良しだと勘違いして誰にでも何でも喋ってしまう人には抵抗を感じるけれども。どこか自分の不可侵領域でこそっと吐き出すことに快感を覚えてしまったらしい。
自分のことを明るくて良い子なんだと思い込ませてたことに疲れたと感じる今日この頃。
でも、そのことをやめる勇気もないこれからである。
つかれたときには
"人間"であることがとてもめんどくさいな、と思うことがある。ここでいう人間とは、別の人との中で生きることを意味する。
人間であるためには、理性を持っていなければならない。それはとてもエネルギーの高い状態を維持しなければならないので、どこかでそのエネルギーを放出しなければならないのである。その放出の仕方はなんぞや。
睡眠である。
寝てる時だけは、意識を手放して理性も捨てて、ただの動物でいられるのである。夢の中でなら何をしたって誰に咎められるわけでもないから。
寝ることがいかに素晴らしいか、ようやく理解し始めた年頃である。
ヒトはどんなに崇高な思想を持っても、動物である限りはそのエネルギーの放出が必要なのである。エネルギー放出の上手な人は、愚痴や文句を言いつつ(たまに人にあたったりして)も溜め込まないので意外としっかりしているが、エネルギー放出の上手くない人は本当に危ない。 自分が気づかないうちに心身に不調が表れているものだ。
という話をしてたら寝落ちしていた。
よほど高エネルギー状態が続いていたらしい。
プライド革命
銀魂のちょっと前のオープニングの曲なんですけど、すごくいい曲で好きです。銀魂は本当に曲が素晴らしく、受験期はSPYAIRの現状ディストラクションで乗り切りました。
さっきふと、自分はめったに人前で泣かないなぁ…と思いました。映画や人のもらい泣きはよくするんですけど、悲しいとか悔しいではめっったに泣かないですね。困ったりすると笑っちゃうタイプなんです…それは多分、ものっっっすごくプライドが高いからなんですよね〜🤔
昔、お前のそういういつもヘラヘラしたところが気に食わないみたいなこと言われたことがあったんですけど、これは自己防衛でしかないんですよ。誰にでもそうですね〜って同意で流して、文句をつけないのも自分を否定させないためで。自分の高すぎるプライドを保つために、あえてへりくだった態度をとるというのはなんと歪んだ自己防衛なんでしょうか…(笑)
悔しくて泣くこと、人を羨むことは自分のプライドを捨てることと同義で、人前で感情を剥き出しにすることは自分にとって恥を晒すことに等しいと思っています。だからこそ、他人とは常に笑顔(笑顔といえるのか)で話すことが多いです。最初は意識してそうしてたものが、気がつけば癖になって今は反射的にそうなっています( ˘ω˘ )無表情な時は結構機嫌悪い時でないと見れないと思います。
ゆめ
一番最初(たぶん幼稚園か小学一年生のとき)になりたいと思った職業はテニスプレイヤーだった。なぜか、人生ゲームの中でそこそこお給料が良くてユニフォームもかっこよかったからである。ちなみに、当時テニスなんてしたことはなかった。
ピアニストも同じくらいお給料が良かったが、エレクトーンを習っていた自分は、この道じゃ上は目指せないなと幼いながらも悟ってしまったので音楽の道はそこで諦めた。
次になりたいな、と思ったのは獣医だった。飼っていたハムスターが体調を崩したとき、診てもらった獣医さんがとてもかっこよかったからだ。これは結構真剣だったので、職業体験ももちろん動物病院に行った。しかし、自分は小さな頃のトラウマでヒツジやヤギなどの大きい動物が苦手なこと、そして動物病院で犬の処置を見学した時に動物が好きだからこそ例え彼らを救うための処置であったとしても彼らが苦しむようなことを自分はできないと思い、泣く泣く諦めた。
中学から高校にかけては薬剤師になりたかった。これは単に給料が良さげだな、と思ったからだ。高校の模試はいつも薬学部で出していた。が、ある時にふと考えた。自分は病院などの狭いコミュニティに閉じこもるのは嫌だなぁ、と。
そして行き着いた今。そこそこ納得できる選択をしたんじゃないかな、と思う。
なりたい、と思うエネルギーよりも、そこまでにかかる労力やお金(もちろん実力も)の心配の方が強くて諦めたことがたくさんある。
地元がまあまあ音楽の盛んな場所でレッスン先の先生には音楽科に行かないか、とほのめかされた。何かを演奏することは大好きだけれど、それを人前で行うことはとても苦手で、そんな奴は音楽家としてはやっていけないなと思っていた。それに、音楽の道がいかに厳しいか(本当にお金と労力がかかるのだ)をきちんと先生が教えてくれていたから、こうして今は別の道を選んだ。
話が逸れるが、本当に音楽の道は厳しい。ただ楽しいから、というだけでやっていける人なんてほとんどいない。趣味でアマチュアとしてならそこそこ楽しくやっていけるが、プロの世界は甘くない。
ただ楽しいからと無責任に音楽の道を勧めることがいかに危険かを世の指導者に理解して頂きたい。本当に。この件はここで話すと相当文句垂れ流しで長くなるのでいつか、話すことがあればその時に。
今でも、たまーに獣医になりたかったと思うことがある。犬猫の獣医は世の中たくさんいるのに、鳥類を診れる獣医はほとんどいないからだ。地方には、助けてあげたいけれど病院が無くて助からないケースがたくさんある。そんな子達を救えてあげれたら、と思ったけれど自分にはその技量と信念が足りなかった。
だから、本当に鳥類を診れる獣医が増えることを祈る。頼む、増えてくれ🙏🏻